役割のバランスは、その時々で変わっていく

自分の役割ってなんだろう、とふと考えることがある。

子どもにとっての親。妻にとっての夫。母にとっての子ども。職場でのチームの係長。そして、自分自身。大きく分けると、この5つの役割があるように思う。

正直に言うと、今は、妻にとっての夫という役割と、母にとっての子どもという役割が、少しおろそかになっている自覚がある。妻の話をちゃんと聞く時間をもっと取らないといけないと思うし、高齢になってきた母のことも、もう少し気にかけないといけないと思っている。

全部を完璧にはできないけれど

5つも役割があると考えると、大変なことのように感じる。でも、1つの役割がうまくいっていないときでも、他にも自分には役割があると思えると、それだけで少し気持ちが楽になる。

何にでも言えることだと思うけど、逃げ場を用意しておくことは大事だと思う。逃げ場があるからこそ、それぞれの場所で、ちゃんと勝負できるんだと思う。

役割の重みは、時期によって変わってきた

振り返ってみると、この5つの役割の重みは、ずっと同じだったわけじゃない。

結婚する前は、母にとっての子どもという役割が、自分の中で大きな部分を占めていた。結婚してからは、夫としての役割が、それまでよりも大きくなった。子どもが生まれてからは、親としての役割が加わって、その分、他の役割は相対的に軽くなっていった。

そう考えると、今、妻や母への向き合い方が薄くなっているのも、ずっとこのままというわけじゃないのかもしれない。今はたまたま、子育てや仕事の比重が大きい時期なだけで、この先また、自然とバランスが変わっていくときが来るんだと思う。

子どもがいずれ巣立っていったときには、また役割の重みが変わっていくはずだ。その時々で、完璧なバランスを目指すんじゃなくて、今はこの役割の比重が大きい時期なんだ、と受け止めながら、それでも忘れずに、少しずつ他の役割にも意識を向けていきたいと思う。

野球から学べることは、無数にある

昨日は、野球の卒団試合だった。3年生対1・2年生。1・2年生だけで30人以上いる、大所帯のチームだ。

あらためてすごいなと思ったのは、これだけの人数をまとめている監督のことだった。自分も含めて、このチームには何か惹きつけられるものがあって入った。その理由の一つが、このチームでなら、野球を通して子どもがいろいろなことを学べると感じたからだった。

野球の中にある、無数の学び

もちろん、野球以外の経験を積むことも大事だと思う。でも、野球というスポーツの中だけでも、学べることは数え切れないほどある。

チームの仲間との関わり方。指導者である大人との関わり方。相手チームや、保護者の方々とのやり取り。挨拶、道具の片付け、自分のユニフォームの洗濯。試合に出るための努力。試合に出ていないときの頑張り方。相手選手の癖を見つける観察力。あげていけばきりがない。

仕事にも、同じことが言える気がする

これは仕事にも通じる話だと思う。一つの職場にいても、学べることは無数にある。長く同じ職場にいると、どうしてもルーティンワークになっていく部分も多い。でも、それは見方を変えれば、落ち着いて仕事ができる環境が整っている、ということでもある。

そういう環境ができたときは、むしろチャンスなんだと思う。そこに、一つ新しいことを少しだけ加えてみる。すぐに新しい環境を求めるんじゃなくて、今ある環境に、少しずつ変化を加えていく。このやり方が、自分には合っている気がしている。

子どもにも、野球を通して、そうやっていろいろなことを学んでいってほしいと思う。もちろん、活躍もしてほしいけれど。

まさかのランニングホームラン

昨日の試合では、バッティングがあまり得意ではない長男が、右中間へランニングホームランを打った。

まさか打つとは思っていなかったので、動画を撮り忘れてしまった。ホームに戻ってきたときの、少し恥ずかしそうな表情と、チームメイトとハイタッチしている姿を見て、こちらの方が嬉しくなった。

ホームランボールはもらえなかったので、後日、自分で用意してプレゼントしようと思っている。

こうして親子ともども、野球を通して喜怒哀楽を感じさせてもらえていることに、本当にありがたいなと思う。1年後、長男がこの卒団試合を迎えるとき、どんな表情をしているのか、今から楽しみにしている。

無関係だからこそ、吐き出せることがある

最近見たドラマで、なるほどと思った話があった。

ある夫婦と、ご近所の夫婦の話で、片方の妻ともう片方の夫が、月に一度、なんでもないおしゃべりをするという場面があった。後ろめたいことをしているわけではなく、ただ話をしているだけ。

その中で描かれていたのは、大好きで大切な家族だからこそ、かえって言えないことがある、という感覚だった。それを言ったら嫌われるかもしれない、嫌な思いをさせるかもしれない。だからこそ、直接は関係のない相手に、その気持ちを話す。そうすることで、かえって家族との時間を大切にできる、という話だった。

こういう構造は、見方によっては良く思われないかもしれない。それでも、この感覚自体は、正直よくわかる気がした。

無関係だから、素のままでいられる

自分にとって、それに近い役割を果たしているのが、このブログを書くことなんだと思う。

これまでも書いてきたけれど、自分と関わりのない人に向けてなら、変に取り繕わずに、わりと素直な気持ちを言葉にできる。身近な人には、気を遣ったり、心配をかけたくなかったりして、なかなか話せないことも、ここでなら書ける。

そうやって、頭の中にあるものを一度外に出しておくことで、かえって家族との時間を大事にできている気がする。これは何も、家族との時間を疎かにしていい理由にはならないけれど、自分の中の気持ちを整理する場所が別にあることで、日常の中でうまくバランスが取れているのかもしれない。

この感情や行動を、どう言葉にすればちょうどいいのか、まだよくわからない。ただ、無関係な相手だからこそ吐き出せるものがある、という感覚は、自分の中で確かにあると感じている。

「もっと頑張れ」の裏にあったもの

正直に書くと、自分の子どもが試合で活躍している姿を見たい、という気持ちがすごく強い。活躍できなかったときに、「なんでできないんだ」「努力が足りないんじゃないか」「もっと危機感を持ってやらないと」と、我慢できずに言ってしまうこともある。

もちろん、目標を決めて頑張ることや、しんどいことから逃げない姿勢を伝えることは、必要なことだと思っている。でも、冷静に振り返ってみると、あれは本当に子どものために言っていたんだろうか、とわからなくなった。

活躍している子どもを見て、自分が優越感に浸りたいだけなんじゃないか。そう思うようになった。

時間を共有しすぎると、つい言ってしまう

振り返って気づいたことがある。自分が子どもと時間を共有しすぎると、「こんなに一緒にやってるのに、もっと頑張れよ」「もっとできるだろ」と、つい思ってしまう。一緒にいる分、色々なことが気になって、過保護になってしまう面もある。

ある程度、時間を共有することは大事だと思う。でも、それを超えた部分は、子どもに任せたほうが、子ども自身の成長につながる気がしてきた。

そろそろ、ある程度は任せてもいいのかもしれない。任せて、子どもが困ったときにフォローしてあげられる関係性が、一番いいのかもしれない。

聞き方を変えてみようと思う

「いってらっしゃい」「おかえり」

これからは、「今日はどうだった?」「ベンチにいるとき、何を意識した?」というように、結果や活躍だけじゃない部分も聞いてあげようと思う。

元気に、好きな野球ができているだけで、本当は十分なんだと思う。野球を通して色々な人に出会い、色々な感情を経験して、色々なことを学んでくれたら、それ以上、何も言うことはない。

まだ完全にそう思い切れているわけじゃないけれど、そう思えるように、少しずつ関わり方を変えていきたい。

ベンチの仕事にも、ちゃんと意味がある

昨日は息子の野球の試合で、朝から車で会場まで送った。山と川に囲まれた、のどかな場所だった。雨上がりで、少しずつ晴れていく空が好きだった。

最近は、最初から試合に出ることが少なくなっていた。だから今日も、応援は試合ぎりぎりに行けばいいかな、というくらいの気持ちで向かった。ところが、到着してみると、なんとスタメンだった。

後輩も増え、同級生にもライバルが多い中での起用。監督がどんな意図で選んだのかはわからないけれど、その意図を、子どもなりに感じ取ってくれたらいいなと思う。正直実力だけを見ればスタメンではないと親は思っている。でも何かしらの意図をもって使ってもらっている。それに感謝しつつ、求められていることを理解し成長してほしいと思う。

センターに飛んできた3球

守備位置はセンター。そこに飛んできた打球は3球あった。

1球目、スタートが遅れて、前に落ちる打球に追いつけず、ツーベースにしてしまった。残りの2球は、無難に処理できていた。子どものところに打球が飛ぶたびに、こちらまでドキドキしてしまう。

試合自体は負けてしまった。それでも、試合後に監督が話していた言葉に、いくつも共感するところがあった。

一回で体現できるかどうか

その中の一つが、「同じことを何度も言われて習得する人と、一回で習得する人とでは、成長のスピードがまったく違う」という話だった。

同じ期間の中でも、一度の指摘で理解して次に活かせるかどうかで、積み上がっていくものの量が全然変わってくる。長男の試合を見ながら、これは野球に限った話じゃなくて、仕事にも、自分自身の日々の過ごし方にも通じる話だなと思って聞いていた。

ベンチで頑張れることの意味

もう一つ、考えていたことがある。

試合に出ている子は、プレーで頑張りが目に見える。でも、ベンチの仕事、声を出すこと、道具の準備、次の作戦を確認すること、相手のくせを見抜くこと、そういう役割に本気で向き合っている子は、実は見えないところで、出ている子以上にしんどい思いをしているんじゃないかと思う。

目立たない分、気を抜こうと思えば抜けてしまう。それでもそこにきちんと向き合える子には、そのことに誇りを持ってほしいと思う。

そして、そういう場所で気を配れる子は、大人になって社会に出たときにも、言われる前に気づいて動ける人になれる気がする。目立たない立場だからこそ見えるものがある、というのは、これまで自分がこのブログで書いてきたこととも、どこかで重なっている。

わからないまま、飛び込んでみた

今日は通勤の途中、いつものカフェではなく、違うカフェに入ってみた。モーニングセットの案内につられたのがきっかけだった。

でも、内容がよくわからなかった。いつもなら、わからないものは避けて、行き慣れた店を選んでしまう。今日は珍しく、わからないまま思い切って入ってみた。

いざ注文しようとすると、店員さんがその場で簡単に説明してくれて、特に問題なく頼むことができた。

名称の違いに、あわてそうになった話

そういえば少し前にも、似たようなことがあった。ホットコーヒーを頼もうと思ったのに、店によってブレンドとかドリップとか、呼び方が違う。メニュー表の中からそれらしいものを探すのに、少しあわてそうになったことがあった。

その時、店員さんが自然な感じで、「ゆっくり選んでくださいね」と一言かけてくれた。ちょうどいいタイミングで、気負わない言い方だったからか、その一言でその店の印象が良くなったし、自分の気持ちもふっと落ち着いた。

落ち着いたはずなのに、結局メニュー表からじっくり探すのではなく、いつも通り「ホットコーヒーで」と頼んでしまったのだけど。

選択肢が増えた

今日、新しいカフェに入ってみた話に戻ると、思っていたよりも落ち着いて過ごせた。わからないまま飛び込んだ結果、案内してもらえたし、無事に注文もできた。

新しいことに少しチャレンジしてみたら、「またこの店に行ってもいいな」という選択肢が一つ増えた。それだけのことなんだけど、なんとなく気分がいい。

わからないから避ける、じゃなくて、わからないままでも一歩踏み出してみると、案外なんとかなることもあるのかもしれない。

ぼやけてることを、一つずつはっきりさせる

今日は通勤電車の中で、なんだか気持ちが落ち着いていた。なんでだろう。。。

たぶん、昨日ある程度目処が立った仕事があったからだと思う。気持ちが落ち着かないときって、自分の中で何かがぼやけてる時が多いのかも。

どんな内容の仕事なのか、どう処理すればいいのか。子どもの健康のこと、勉強のこと、野球のこと。お金のこと。挙げていくとキリがない。しかも、これらは一つ解決したところで、また新しいものが出てくる。たぶん、完全になくなることはない。

クリアにすると、落ち着く

それでも、今日のすっきりした気持ちから一つわかったことがある。ぼやけていることを一つずつはっきりさせていくと、気持ちが落ち着くらしい。

ただ、それは全部が全部、いい方向に解決するわけじゃないとも思う。中には、解決というより、「これはもう仕方ないか」と諦める形で整理がつくこともある気がする。それでも、ぼやけたままにしておくよりは、はっきりさせる方が、気持ちは軽くなるのかもしれない。

当たり前のことだけど

書いてみると、当たり前のことを言ってるだけかもしれない。でも、当たり前のことを、意識してやるかどうかで、案外違ってくるんじゃないかと思う。

ぼやけてることを、そのままにしない。一つずつ、少しずつでも、輪郭をはっきりさせていく。それだけのことだけど、今日はそれが少しできていたから、こんなに気持ちが落ち着いていたのかもしれない。

知らない人だらけのカフェで、素の自分になる

通勤の乗り換えで降りた駅で、なんとなくカフェに入った。特に何も決めず、ただ今の頭の中をここに吐き出しておきたくなった。さっき電車で聴いていた音楽のおかげか、今はわりとフラットな気分。

店内を見渡すと、自分と同じようにパソコンを開いてる人、男女でおしゃべりしてる人、スマホを見てる人、居眠りしてる人。いろんな人がいる。

たぶんこの中の誰とも、これから関わることはない。そう思うと、あまり周りの視線が気にならない。素の自分でいられる気がする。逆に、自分と関わりのある人の前だと、変に見られたくないなとか考えてしまって、うまく素を出せない。この性格が強いから、人と一定の距離をとってしまうのかもな、と思う。

先に予測してから動きたい性格

こうやって考えていると、自分は結構、先のことを予測してから動きたいタイプなんだと気づく。全部を読み切るなんて無理なのはわかってるけど、「こうなるからこうしよう」「これを言ったらこう思われそう」とか、つい考えてしまう。

これが良い方向に働くこともあれば、単に動きにくくしてるだけのこともある気がする。この性格、どこかで活きる場面がもっとあったらいいなと思う。

週末が待ち遠しくない、という変化

今日は木曜日。あと1日頑張れば週末。

前は、子どもの野球を見に行くのが週末の楽しみだった。でも最近はいろいろあって、それが前ほどの楽しみではなくなってしまった。だから今は、正直そこまで週末が待ち遠しいわけでもない。

これをマイナスに捉えるんじゃなくて、野球以外のことに目を向けられる機会なのかもしれない、と思うようにしている。片付けや家事、親のこと、この先子どもが巣立った後の自分の楽しみを探すこと。そういうことに使える時間が、新しく生まれたと考えてみる。

まだうまく気持ちが追いついてない部分もあるけど、そんなふうに少しずつ捉え方を変えていけたらいいなと思う。

音楽が、あふれそうな気持ちを相殺してくれる

通勤電車の中で、無性に音楽を聴きたくなるときがある。

今日は良くない報告を受けそうだな、とか、先延ばしにできない仕事がある、とか、自分には存在感がないな、とか、過去の失敗がふと頭に浮かんでくる。一つ一つは大したことじゃなくても、それらが無意識のうちに積み重なって、気持ちがあふれそうになる。

そういうとき、無性に音楽を聴きたくなるのだと思う。

音楽が気持ちを相殺してくれる

音楽を聴くことで、あふれそうな気持ちが、相殺されているような感覚がある。内側から込み上げてくるものに、外から違う何かを入れることで、ちょうどいいバランスが保たれる。そんな感じだ。音楽を取り入れることで、頭の考えさせる隙間を埋めているのかもしれない。

普段なら聞き流してしまうような歌詞が、こういうときに限って頭の中で繰り返される。おそらく、今の自分の気持ちにぴったり合う言葉を、無意識に探しているんだと思う。誰かが書いた歌詞の中に、自分の状態を代弁してくれる一節を見つけると、それだけで少し気持ちが楽になる。

言葉にできない気持ちを、誰かの言葉が埋めてくれる

自分の中にある、うまく言葉にできないモヤモヤを、他人が書いた歌詞が代わりに言葉にしてくれることがある。それは、自分の気持ちを誰かに理解してもらったような感覚に近いのかもしれない。

電車に揺られながら、ただ音楽を聴いているだけの時間。でもその数分間が、あふれそうな気持ちをなんとか保ってくれている。そして乗り換えの駅に着けば、また日常の続きが始まる。

そんな小さな時間の積み重ねで、なんとかバランスを取りながら、今日も一日を過ごしていく。

コーヒー一杯400円の、30分の意味

出勤前に、いつも同じカフェに立ち寄る。時間にして30分程度。

「コーヒー一杯に400円は高い」「そんなことだからお金が貯まらないんだ」なんて言われそうな気もする。でも自分にとっては、これは大事な時間だ。コーヒーそのものも好きだけど、それ以上に、この一人でいる時間が、仕事前の自分の気持ちを整えてくれている。

結構な頻度で通っているのだけど、毎回のようにポイントカードの確認や、別のポイントサービスの案内をされる。いつも「ないです」と答えているのに、また同じことを聞かれると、少しイラッとすることもある。

でも、イラッとした後に、ふと反省する自分もいる。自分も仕事で接客する立場のときは、「後で説明を聞いていない」と言われないように、決まり文句を言うことがある。もちろん、毎回同じ人が来る仕事ではないから、単純には比べられないけれど。

書くことで、少しずつ落ち着く

今、この文章もそのカフェで書いている。書いているうちに、気持ちが少しずつ落ち着いてくるのを感じる。

最近は、ジャーナリングが良いと勧める人も多い。自分がこうして書いていることも、それに近いのかもしれない。誰かの役に立つ内容でもないし、たいしたことのない話かもしれない。でも、自分が考えていることを文字にして、見える形にできる。それを続けていくことで、自分自身がどう変わっていくのかも、楽しみの一つになっている。

日記でもいいのかもしれないけれど、こうしてブログという形で公開することで、いつか誰か一人にでも読んでもらえて、何か一つでも役に立つことがあれば嬉しいな、と密かに思っている。

同じ日常を、どう捉えるか

今日もまた、いつもと同じような一日が始まる。

出勤前のカフェも、決まり文句を言われることも、これまでと変わらない日常だ。でも、それをどう捉えるかで、一日の充実感は変わる気がする。

同じ30分を「無駄な出費」と見るか、「自分を整える時間」と見るか。同じやり取りを「うんざりすること」と見るか、「自分自身を振り返るきっかけ」と見るか。

何気ない日常の中にも、見方を変えれば、自分にとって大事な意味が見つかることがある。今日もそんな一日を、少しだけ前向きに始められそうだ。