コーヒー一杯400円の、30分の意味

出勤前に、いつも同じカフェに立ち寄る。時間にして30分程度。

「コーヒー一杯に400円は高い」「そんなことだからお金が貯まらないんだ」なんて言われそうな気もする。でも自分にとっては、これは大事な時間だ。コーヒーそのものも好きだけど、それ以上に、この一人でいる時間が、仕事前の自分の気持ちを整えてくれている。

結構な頻度で通っているのだけど、毎回のようにポイントカードの確認や、別のポイントサービスの案内をされる。いつも「ないです」と答えているのに、また同じことを聞かれると、少しイラッとすることもある。

でも、イラッとした後に、ふと反省する自分もいる。自分も仕事で接客する立場のときは、「後で説明を聞いていない」と言われないように、決まり文句を言うことがある。もちろん、毎回同じ人が来る仕事ではないから、単純には比べられないけれど。

書くことで、少しずつ落ち着く

今、この文章もそのカフェで書いている。書いているうちに、気持ちが少しずつ落ち着いてくるのを感じる。

最近は、ジャーナリングが良いと勧める人も多い。自分がこうして書いていることも、それに近いのかもしれない。誰かの役に立つ内容でもないし、たいしたことのない話かもしれない。でも、自分が考えていることを文字にして、見える形にできる。それを続けていくことで、自分自身がどう変わっていくのかも、楽しみの一つになっている。

日記でもいいのかもしれないけれど、こうしてブログという形で公開することで、いつか誰か一人にでも読んでもらえて、何か一つでも役に立つことがあれば嬉しいな、と密かに思っている。

同じ日常を、どう捉えるか

今日もまた、いつもと同じような一日が始まる。

出勤前のカフェも、決まり文句を言われることも、これまでと変わらない日常だ。でも、それをどう捉えるかで、一日の充実感は変わる気がする。

同じ30分を「無駄な出費」と見るか、「自分を整える時間」と見るか。同じやり取りを「うんざりすること」と見るか、「自分自身を振り返るきっかけ」と見るか。

何気ない日常の中にも、見方を変えれば、自分にとって大事な意味が見つかることがある。今日もそんな一日を、少しだけ前向きに始められそうだ。

理由のわからない不安に、無理に答えを出さなくてもいい

今日、いつも通り電車で通勤していたら、なんとなく不安な気持ちになった。

何か特定の嫌なことがあったわけじゃない。ただ、ふわっと今までの色々な失敗が頭に浮かんでは消えていく。一つ一つが重くのしかかってくるわけじゃなくて、全体がぼんやりとモヤっとしている、そんな感覚だった。

こういうとき、いつもすぐに原因を探そうとしてしまう。睡眠不足だったからか、朝の準備が慌ただしかったからか。理由がわかれば、対処できる気がするから。

でも今回は、正直まだ理由がわからない。

原因を探すこと自体が、癖になっている

これまでの記事でも書いてきたけれど、自分は普段から、物事の理由や仕組みを分析するのが癖になっているタイプだと思う。人の気持ちにも、自分の性格にも、「なぜそうなるのか」を考えることで、少しずつ納得してきた。

だから、こういう漠然とした不安に対しても、反射的に「原因は何だ」と探しにいってしまう。

でも、今回はいくら考えても、これといった決め手が見つからない。睡眠不足も、慌ただしい朝も、多少は関係しているかもしれないけど、それだけが原因だと言い切れる感じもしない。

答えが出なくても、書いてみる

前回までの記事では、映画を観たり、身近な時間を大切にしたりする中で、何かしらの気づきがあった。今回は、そういう着地点がまだ見えていない状態で書いている。

それでも、これはこれで一つの記録として意味があると思う。いつも何かに気づいて、前向きな学びにできるわけじゃない。理由がわからないまま、モヤっとした気持ちを抱えたまま、一日を過ごすこともある。

無理に理由を見つけて納得しようとしなくても、「今日はなんとなくそういう日だった」と、そのまま置いておいてもいいのかも。

答えが出ないことを、答えが出ないまま書く。それも、自分の気持ちと付き合っていく一つのやり方かなと、今は思っている。

短所だと思っていたものが、実は長所の裏側だった話

前回、前々回と、輪の中に入れない自分、そしてその気持ちと折り合いをつけていく過程について書いてきた。今回は、前書き忘れた映画を観て気づいたことについて。

ある登場人物は、言葉をうまく話せない家族と長年一緒に過ごしてきた人だった。仕事でカウンセリングをしていて、あるとき相談者から、こんな話をされる場面があった。「一緒にいる相手が、たくさんの言葉を使って謝ってくるけれど、言葉が多いほど、なんだか嘘っぽく聞こえてしまう」と。

それに対してその人は、「言葉って難しいですよね。言葉は口から出た瞬間に、意味が難しくなる。表情から伝わるものの方が、真意に近い気がします」というようなことを返す。すると相談者は、「どうしてそんなに、私の気持ちがわかるんですか」と驚く。

その理由は、その人が普段、言葉をうまく話せない家族と接する中で、言葉がなくても表情や仕草から相手の気持ちを読み取る経験を積んできたからだった。

「できないこと」の裏側にあるもの

このエピソードを見て、はっとした。

「言葉が話せないから、気持ちがわからない」のではなく、「言葉がない分、他のところから気持ちを読み取る力が育つ」。不自由さや苦労がある分、人よりも引き出しが増えていく。うまく言葉にできないけれど、これはすごく大事な気づきだと感じた。

人と違う経験をすることは、人と違う強みを得るチャンスでもあるのだ。

短所と長所は、表と裏

これまでの記事で書いてきた、「輪の中心に入れない」「目立たない」という自分の特徴も、同じことが言えるのかもしれない。

表面だけを見れば、それは短所のように見える。でも、裏を返せば、輪の中心にいないからこそ見えるものがあるし、目立たない立場だからこそ気づける、同じような立場の人の気持ちが少しわかることもある。

長所と短所は、表裏一体なんだと思う。他人と比べて表に出ていない特徴は、短所として語られがちだけど、見る角度を変えれば、それはそのまま長所にもなる。

輪に入れないことも、目立たないことも、何かが欠けているということではなく、その分だけ違う経験や、違う気づきを得られる場所に立っている、ということなのかもしれない。


書いてもすぐには消化できなかった気持ちも、映画を観て涙したことも、そして今回のように新しい視点に出会ったことも、全部繋がって、自分の中で少しずつ形になってきている気がする。