無関係だからこそ、吐き出せることがある

最近見たドラマで、なるほどと思った話があった。

ある夫婦と、ご近所の夫婦の話で、片方の妻ともう片方の夫が、月に一度、なんでもないおしゃべりをするという場面があった。後ろめたいことをしているわけではなく、ただ話をしているだけ。

その中で描かれていたのは、大好きで大切な家族だからこそ、かえって言えないことがある、という感覚だった。それを言ったら嫌われるかもしれない、嫌な思いをさせるかもしれない。だからこそ、直接は関係のない相手に、その気持ちを話す。そうすることで、かえって家族との時間を大切にできる、という話だった。

こういう構造は、見方によっては良く思われないかもしれない。それでも、この感覚自体は、正直よくわかる気がした。

無関係だから、素のままでいられる

自分にとって、それに近い役割を果たしているのが、このブログを書くことなんだと思う。

これまでも書いてきたけれど、自分と関わりのない人に向けてなら、変に取り繕わずに、わりと素直な気持ちを言葉にできる。身近な人には、気を遣ったり、心配をかけたくなかったりして、なかなか話せないことも、ここでなら書ける。

そうやって、頭の中にあるものを一度外に出しておくことで、かえって家族との時間を大事にできている気がする。これは何も、家族との時間を疎かにしていい理由にはならないけれど、自分の中の気持ちを整理する場所が別にあることで、日常の中でうまくバランスが取れているのかもしれない。

この感情や行動を、どう言葉にすればちょうどいいのか、まだよくわからない。ただ、無関係な相手だからこそ吐き出せるものがある、という感覚は、自分の中で確かにあると感じている。

「もっと頑張れ」の裏にあったもの

正直に書くと、自分の子どもが試合で活躍している姿を見たい、という気持ちがすごく強い。活躍できなかったときに、「なんでできないんだ」「努力が足りないんじゃないか」「もっと危機感を持ってやらないと」と、我慢できずに言ってしまうこともある。

もちろん、目標を決めて頑張ることや、しんどいことから逃げない姿勢を伝えることは、必要なことだと思っている。でも、冷静に振り返ってみると、あれは本当に子どものために言っていたんだろうか、とわからなくなった。

活躍している子どもを見て、自分が優越感に浸りたいだけなんじゃないか。そう思うようになった。

時間を共有しすぎると、つい言ってしまう

振り返って気づいたことがある。自分が子どもと時間を共有しすぎると、「こんなに一緒にやってるのに、もっと頑張れよ」「もっとできるだろ」と、つい思ってしまう。一緒にいる分、色々なことが気になって、過保護になってしまう面もある。

ある程度、時間を共有することは大事だと思う。でも、それを超えた部分は、子どもに任せたほうが、子ども自身の成長につながる気がしてきた。

そろそろ、ある程度は任せてもいいのかもしれない。任せて、子どもが困ったときにフォローしてあげられる関係性が、一番いいのかもしれない。

聞き方を変えてみようと思う

「いってらっしゃい」「おかえり」

これからは、「今日はどうだった?」「ベンチにいるとき、何を意識した?」というように、結果や活躍だけじゃない部分も聞いてあげようと思う。

元気に、好きな野球ができているだけで、本当は十分なんだと思う。野球を通して色々な人に出会い、色々な感情を経験して、色々なことを学んでくれたら、それ以上、何も言うことはない。

まだ完全にそう思い切れているわけじゃないけれど、そう思えるように、少しずつ関わり方を変えていきたい。

ベンチの仕事にも、ちゃんと意味がある

昨日は息子の野球の試合で、朝から車で会場まで送った。山と川に囲まれた、のどかな場所だった。雨上がりで、少しずつ晴れていく空が好きだった。

最近は、最初から試合に出ることが少なくなっていた。だから今日も、応援は試合ぎりぎりに行けばいいかな、というくらいの気持ちで向かった。ところが、到着してみると、なんとスタメンだった。

後輩も増え、同級生にもライバルが多い中での起用。監督がどんな意図で選んだのかはわからないけれど、その意図を、子どもなりに感じ取ってくれたらいいなと思う。正直実力だけを見ればスタメンではないと親は思っている。でも何かしらの意図をもって使ってもらっている。それに感謝しつつ、求められていることを理解し成長してほしいと思う。

センターに飛んできた3球

守備位置はセンター。そこに飛んできた打球は3球あった。

1球目、スタートが遅れて、前に落ちる打球に追いつけず、ツーベースにしてしまった。残りの2球は、無難に処理できていた。子どものところに打球が飛ぶたびに、こちらまでドキドキしてしまう。

試合自体は負けてしまった。それでも、試合後に監督が話していた言葉に、いくつも共感するところがあった。

一回で体現できるかどうか

その中の一つが、「同じことを何度も言われて習得する人と、一回で習得する人とでは、成長のスピードがまったく違う」という話だった。

同じ期間の中でも、一度の指摘で理解して次に活かせるかどうかで、積み上がっていくものの量が全然変わってくる。長男の試合を見ながら、これは野球に限った話じゃなくて、仕事にも、自分自身の日々の過ごし方にも通じる話だなと思って聞いていた。

ベンチで頑張れることの意味

もう一つ、考えていたことがある。

試合に出ている子は、プレーで頑張りが目に見える。でも、ベンチの仕事、声を出すこと、道具の準備、次の作戦を確認すること、相手のくせを見抜くこと、そういう役割に本気で向き合っている子は、実は見えないところで、出ている子以上にしんどい思いをしているんじゃないかと思う。

目立たない分、気を抜こうと思えば抜けてしまう。それでもそこにきちんと向き合える子には、そのことに誇りを持ってほしいと思う。

そして、そういう場所で気を配れる子は、大人になって社会に出たときにも、言われる前に気づいて動ける人になれる気がする。目立たない立場だからこそ見えるものがある、というのは、これまで自分がこのブログで書いてきたこととも、どこかで重なっている。