まだ40代なんだから、もったいない

今、ある本を読んでいる。まだ途中だけど、なるほどと思った箇所があった。

「みんな、すべてのことに全力で頑張りすぎていて、自分がやりたいことをやるためのエネルギーが十分に残っていない」という趣旨のメッセージだった。

まだ自分に具体的に当てはめて考えられたわけじゃないけれど、素直に、なるほどと思った。

やりたいことより先に、生活のかたちを決める

自分が本当にやりたいことは何かを認識するためには、まず、自分がどういう生活をしたいのかを、ある程度先に決めておく必要があるのかもしれない、と思った。

もう40代なので、これから描ける形には、ある程度の制限があるとは思う。それでも、何も考えないまま、与えられた人生をただ生きていくのは、少しもったいない気がする。

40代の自分は、50代から見ればまだ若い

今振り返ると、30代の頃がすごく若く感じる。あの頃から、何だってできたはずだと思う。でも、30代の当時は、「もう30代か」と感じていた。

そう考えると、今、「もう40代か」と思っている自分も、たぶん同じなんだと思う。50代になった自分から見れば、今の40代の自分は、まだ40代なのだから、もったいないことをしていると思われるかもしれない。

まず、どう生活したいかを考え直す

だから、まずは自分がどういう生活を送りたいのかを、あらためて考えてみようと思う。それがはっきりすれば、日々の生活の中で、頑張るところと、少し手を抜くところの、バランス感覚も自然と生まれてくる気がする。

こうして書いている、たわいもない自分の考えが、いつか一冊の本になったらいいなと思う。こんな内容じゃ、さすがに難しいだろうか(笑)

気持ちが乱れていると、すべてが悪く見えてしまうのかもしれない

今日はなんだか、気分があまり良くなかった。

昨日は長男と一緒に勉強をするはずだったのに、少し横になっているうちに、そのまま寝てしまった。今朝も弁当を作る時間がなく、家を出るのもいつもより遅れてしまった。そのせいで、いつもカフェで過ごしている時間も、短くなってしまった。

普段は、カフェで気持ちを整えることで、仕事にも、その後の家庭での時間にも、気持ちよく向き合える準備をしている。今日はその時間が取れなかったので、朝はマクドナルドで過ごすことにした。

店員さんの様子が、気になってしまった

そのせいなのかどうかはわからないけれど、今日は店員さんの様子が、あまり良い印象に感じられなかった。レジには、シニアの方と、中年の女性のスタッフがいた。シニアの方はやけにおしゃべりが多く、もう一方は目も合わせずに「1234番の方」と呼ぶだけで、どこか心ここにあらずという感じだった。

自分の受け取り方が偏っていたのかもしれないけれど、マクドナルドは高齢者の憩いの場というより、いろんな境遇の人が過ごす空間だと思っている。少なくとも店員さんには、お客さんを第一に考えてほしいと思ってしまった。おしゃべりがしたいなら、休憩の時間にしてほしい、と。

そのあとも、シニアの方が「いらっしゃいませー」と言うたびに、なんだか嫌な気持ちになった。

たぶん、自分の気持ちが乱れていたから

今のこの気持ちは、昨日の晩から今朝にかけて、予定通りに物事が進まなかったことで、自分の気持ちが乱れているところに、今日のような接客が重なって生まれたものなんだと思う。

「いらっしゃいませー」という言葉自体は、普段なら何も感じずに受け取れるはずのものだ。それでも、気持ちが乱れているときは、すべてが悪いほうに見えてしまうことがあるのかもしれない。

これは、自分の中で気をつけないといけないところだと思う。物事の受け取り方が、自分の状態によってこんなにも変わってしまうのだということを、今日はあらためて感じた。

次男の何気ない一言が、気づかせてくれたこと

昨日、次男に突然、「何か欲しいものある?」と聞かれた。

正直、その時は特に欲しいものも思い浮かばなかったし、他のことを考えていたので、あまりちゃんと向き合えずに答えてしまった。

少し時間が経ってから、ふと考え直してみた。もしかしたら、今月が自分の誕生日だから、次男は何かプレゼントを用意しようとしてくれていたのかもしれない、と。

そう思うと、すごく悪いことをしてしまったなと反省した。子どもが誰かに何かしてあげたいと思ってくれた、その気持ちを、その場で潰してしまうところだった。

買いに行けそうなものを、考えよう

近くのお店で、次男が自分で買いに行けて、無理なく買えそうなものを考えて、あらためて伝えようと思う。せっかくの気持ちを、ちゃんと受け取れる形にしたい。

妻の誕生日も、同じ月だった

次男のこの一言のおかげで、もう一つ思い出したことがある。今月は、妻の誕生日もある。

次男の行動がなければ、危うく忘れてはいないけど、特に何もしなかったかもしれない。子どもの何気ない一言が、思わぬところで、家族への気配りを連鎖的に引き出してくれた。妻には、誕生日ケーキを用意しようと思う。

一つの小さな問いかけが、こんなにいろんなことに気づかせてくれるとは思わなかった。

次男よ。ありがとう。

400円は、コーヒーじゃなくて空間の対価

カフェでホットコーヒーを頼んだ。

パソコンをしている人、紙の本を読んでいる人、スマホを触っている人、食事をしている人。中には、なんだかせかせかしている人もいた。そんな中で、自分は今日も一日が始まるなと思いながら、ブログを書き、ゆっくりホットコーヒーを飲んでいた。

しょうもないことだけど、ホットコーヒーって、あったかいコーヒーというだけじゃなくて、なんだか気持ちがほっとするコーヒーだな、とふと思った。

カフェでは、せかせかしたくない

カフェにいる人が何をしていようと、それはその人の自由だと思う。でも、正直に言うと、カフェの中でせかせかしている人を見るのは、あまり好きじゃない。

仕事の中では、ただでさえゆったりできない場面が多い。だからこそ、カフェは自分にとって、非日常でいてほしい空間なんだと思う。400円ほど払っているのは、コーヒーそのものというより、その空間を味わうための対価なんだと思っている。

チョコ一つで、また来たくなる

自分はいつも、ブラックコーヒーを頼む。もし、そこに小さなチョコレートが一つ、サービスでついてきたら、それだけでコーヒーがよりおいしく感じるし、また来たくなるだろうなと思う。

そんな、「こんなのがあったらいいな」という小さな理想を、これからも少しずつ心の中に貯めていきたい。もしいつか自分がカフェを開くようなことがあれば、そういう小さな心遣いを大事にした店にしたい、なんて夢も、ちょっとだけ芽生えた。

オンオフを、無理に切り替えなくてもいい

昨日は大雨だったけど、今日は晴れている。それだけで、なんとなく気分がいい。

考えてみると、今日は絶対にやらないといけない仕事がない日だった。もしかしたら、そのことも気分の良さに関係しているのかもしれない。

余裕があるから、気づける

よくよく考えると、天気そのものが直接気分を良くしているというより、やることに追われていないからこそ、天気の良さに気づく余裕が生まれているんじゃないかと思う。

逆に言えば、忙しくてやることに追われているときは、たとえ晴れていても、それに気づく余裕すらないのかもしれない。

実際、そういう瞬間には心当たりがある。家に帰っても、頭の片隅でずっと仕事のことを考えてしまって、子どもの話をちゃんと聞けなかったり、子どもと一緒にゲームをしていても、あまり集中できなかったりすることがある。どうやったら切り替えられるんだろう、とよく思っていた。

オンオフを切り替えられる人こそ、という思い込み

以前は、休日に少しでも仕事のことを考えてしまうと、家族に悪いような気がしていた。オンオフをきっちり切り替えられないのは、仕事ができない人なんじゃないか、とも思っていた。

でも最近は、少し考え方が変わってきた。無理にオンオフを切り替えようとするより、仕事もプライベートも、ある程度混ざり合うものだと捉えておいたほうが、かえってストレスが溜まらない気がする。

休みを取った翌日に、自分が把握していないメールや仕事があるんじゃないかと不安になって、結局休日を楽しめないくらいなら、休みの間に少しだけメールを確認して、状況を把握しておく。そうしたほうが、休日も、その翌日も、気持ちよく過ごせることがある。

無理に切り替えようとして、中途半端に仕事のことが頭に残ったまま家族と過ごすよりも、少し先に確認して「これなら大丈夫」と思える状態を作っておくほうが、結果的に、家族との時間にもちゃんと集中できるのかもしれない。

オンオフを完璧に切り替えることが、必ずしも正解じゃないのかもしれないと、今は思っている。

先取りすることの、心地よさとほどよさ

今日は弁当を持ってきていなかったので、昼休みにコンビニへ行った。そこで少し驚いたことがあった。飲料コーナーに、もうホット商品が並んでいたのだ。

確かに最近は朝晩が涼しくなってきた。それでも、少し前まで猛暑や熱中症の話をしていたのに、もう秋が近いのかと、意外な気持ちになった。

似たような驚きは、帰り道に寄った無印良品でもあった。マネキンが、もう長袖を着ている。ちょっと早すぎないかとも思ったけれど、企業はいつも先手先手で動いているんだろうなと思う。

先取りすることのメリット

先取りすると、混雑しないし、商品が売り切れることもない。準備を早くしておける分、落ち着いて過ごせる、というメリットがあるように思う。もちろん、割引になっているわけではないのだけど。

割引を待ってから動く人生ではなく、少し先取りして、主体的に動いていく人生。そういう生き方も、悪くないなと思う。

これは仕事でも同じだと思う。締め切りよりも少し前倒しで動く。次の異動を見据えて、少し早めに知識を身につけておく。そうやって先取りしておくことで、余裕を持って過ごせる場面は多い気がする。

先取りしすぎないように

ただ、先取りすることばかりを意識しすぎて、今この瞬間をないがしろにしてしまうのは避けたいと思う。先取りしすぎないように気をつけながら、少しだけ先取りする。そのくらいの感覚が、気持ちよく過ごせるちょうどいいバランスなのかもしれない。

今日はこの後、長男へのプレゼント用のホームランボールを注文して、次男の素振り1000回記念のお祝いも用意しようと思う。帰宅したら、長男と数学と理科の勉強もする予定だ。帰りの電車では、読書をしながら、また何か書きたくなるネタを探してみようと思う。

今日も、なんだかいい一日だった。

なぜを突き詰める姿勢と、体のすごさに驚く感覚

昨日は、長男の中間テストの勉強を手伝った。教科は理科。自分が学生の頃は、わりと得意な範囲だったはずだけど、数十年も経つと、さすがに内容を忘れている。

それでも今はYouTubeに無料の解説動画がたくさんあって、しかもわかりやすい。今の子どもたちにとっては当たり前すぎて、そのありがたみに気づいていないかもしれないけれど、こういう動画のおかげで、塾に通っているかどうかの差も、やり方次第では埋められるんじゃないかと思うくらいだ。

静電気と、「なぜ」を突き詰める姿勢

昨日勉強したのは、「静電気」と「消化の仕組み」だった。

静電気については、ストロー2本をティッシュでこすって、ストロー同士を近づけると離れて、ティッシュとストローを近づけるとくっつく、という実験の話。なぜだろうと調べていくと、もともとティッシュもストローも、プラスの電気とマイナスの電気(電子)を持っていて、こすることで、ティッシュからストローへ電子が移動する。その結果、ティッシュはプラスの電気が強くなり、ストローはマイナスの電気が強くなる。だからくっつく、という仕組みだった。

昨日はそこで止めていたけれど、「では、なぜこすると電子がティッシュからストローへ移動するのか」というところまで気になって、あとから調べてみた。物質にはそれぞれ、電子を引きつけやすい・離しやすいという性質の順番があって、その組み合わせで移動の向きが決まるらしい。ただ、「そもそもなぜその物質がその性質を持つのか」というところまで突き詰めると、実はまだすっきり説明しきれていない部分もあるようだった。

わからないことを、わからないままにせず、とことん「なぜ」を突き詰めていく感覚を、子どもには持ってもらいたいと思う。もっとも、突き詰めた結果、自分自身もすぐには答えられなかったのだけど。

消化の仕組みに、人間の体ってすごいと思う

「消化」の勉強をしていて思ったのは、人間の体って本当によくできているということだった。

食べたものは、それぞれの消化管で役割分担されながら分解されていく。口では唾液の中の酵素がでんぷんを分解し、胃では別の酵素がタンパク質を分解する。すい液に含まれる酵素は、でんぷん、タンパク質、脂肪のすべてに働きかける。分解されたものは、小腸の柔毛から吸収され、でんぷんとタンパク質は毛細血管へ、脂肪はリンパ管へと運ばれていく。吸収しきれなかった水分は大腸で吸収され、最後まで残ったものが便として排出される。

こうして一つひとつ辿っていくと、なんとよくできた仕組みなんだろうと感心してしまう。テストのための暗記というより、自分の体の中で今も起きていることとしてイメージしながら、素直に「すごい」と感じる感覚を、子どもにも持ってもらえたらいいなと思う。

なぜを突き詰める姿勢と、体のすごさに驚く感覚

昨日は、長男の中間テストの勉強を手伝った。教科は理科。自分が学生の頃は、わりと得意な範囲だったはずだけど、数十年も経つと、さすがに内容を忘れている。

それでも今はYouTubeに無料の解説動画がたくさんあって、しかもわかりやすい。今の子どもたちにとっては当たり前すぎて、そのありがたみに気づいていないかもしれないけれど、こういう動画のおかげで、塾に通っているかどうかの差も、やり方次第では埋められるんじゃないかと思うくらいだ。

静電気と、「なぜ」を突き詰める姿勢

昨日勉強したのは、「静電気」と「消化の仕組み」だった。

静電気については、ストロー2本をティッシュでこすって、ストロー同士を近づけると離れて、ティッシュとストローを近づけるとくっつく、という実験の話。なぜだろうと調べていくと、もともとティッシュもストローも、プラスの電気とマイナスの電気(電子)を持っていて、こすることで、ティッシュからストローへ電子が移動する。その結果、ティッシュはプラスの電気が強くなり、ストローはマイナスの電気が強くなる。だからくっつく、という仕組みだった。

昨日はそこで止めていたけれど、「では、なぜこすると電子がティッシュからストローへ移動するのか」というところまで気になって、あとから調べてみた。物質にはそれぞれ、電子を引きつけやすい・離しやすいという性質の順番があって、その組み合わせで移動の向きが決まるらしい。ただ、「そもそもなぜその物質がその性質を持つのか」というところまで突き詰めると、実はまだすっきり説明しきれていない部分もあるようだった。

わからないことを、わからないままにせず、とことん「なぜ」を突き詰めていく感覚を、子どもには持ってもらいたいと思う。もっとも、突き詰めた結果、自分自身もすぐには答えられなかったのだけど。

消化の仕組みに、人間の体ってすごいと思う

「消化」の勉強をしていて思ったのは、人間の体って本当によくできているということだった。

食べたものは、それぞれの消化管で役割分担されながら分解されていく。口では唾液の中の酵素がでんぷんを分解し、胃では別の酵素がタンパク質を分解する。すい液に含まれる酵素は、でんぷん、タンパク質、脂肪のすべてに働きかける。分解されたものは、小腸の柔毛から吸収され、でんぷんとタンパク質は毛細血管へ、脂肪はリンパ管へと運ばれていく。吸収しきれなかった水分は大腸で吸収され、最後まで残ったものが便として排出される。

こうして一つひとつ辿っていくと、なんとよくできた仕組みなんだろうと感心してしまう。テストのための暗記というより、自分の体の中で今も起きていることとしてイメージしながら、素直に「すごい」と感じる感覚を、子どもにも持ってもらえたらいいなと思う。

非日常で、日常を生きるエネルギーを充電する

カフェで、なんとなく周りを見渡してみる。平日の昼間ということもあって、ベビーカーに赤ちゃんを乗せたお母さんたちの姿が多い。他には、一人で勉強している人、絵を描いている人、二人で会社の話やAIの話をしている人もいる。

ベビーカーを見て、思うことがあった。子どもはかわいい。でも、子育ては大変だ。自分自身も子育てを経験してきたからこそ、余計にそう思う。

赤ちゃんは、泣いてほしくないときに泣くし、寝てほしいときに寝てくれない。おむつも、しょっちゅう替えないといけない。一人で向き合っていると、しんどくなる時間も多い。だからこそ、同じ境遇の人たちで集まって、たわいもない話をする。それは、きっと必要な時間なんだと思う。

自分だったら、心から楽しめるだろうか

そう思いながら、ふと考えた。自分だったら、そういう集まりで心から楽しめるだろうか、と。

正直に言うと、自分は人と距離を取ってしまう性格だから、そもそもそういう風に集まれる仲間があまりいない。それに、もし仲間がいたとしても、結局そこでも周りに気を使ってしまって、心から楽しめないんじゃないかと思う。

一人が好きだと思っている自分でも、たまには誰かと話したくなることがある。それでも、いざ誰かといる場面になると、無意識に周りの様子を気にしてしまう。だからこそ、赤の他人ばかりのカフェや、こうして匿名で書いているブログの方が、かえって素直な気持ちを出せるのかもしれない。

非日常で、少しずつ充電する

こうしてブログに素直な言葉を書き出すだけでも、少し気持ちが楽になる。カフェにいる時間は、自分にとって、非日常に身を置いてリフレッシュする時間なんだと思う。

旅行も、読書も、カフェも、温泉も、どれも普段とは違う環境に自分を置くという意味では同じなのかもしれない。そうやって、日常を生きるためのエネルギーを、少しずつ充電しているんだと思う。

雨の音だけが聞こえる時間

最近、火曜日に休みを取ることが多い。今日もそうだった。

朝はきちんとご飯を食べて、洗濯を干して、洗い物をして、子どもの中間テストに向けて、勉強すべき問題を選んでおいた。それが一通り終わると、外は大雨で、さて何をしようかと考えた。

今月がちょうど誕生日で、近くの温泉が割引になるクーポンがあったことを思い出した。久しぶりに行ってみることにした。

雨の音だけが聞こえる

行ってみると、お客さんはちらほらで、比較的すいていた。露天風呂に浸かりながら、のんびりした。

うとうとしながら目を閉じていると、聞こえてくるのは雨の音だけだった。それがすごく落ち着いた。

普段は、色々な音や視線が、常に自分の中に入ってきている。それが当たり前になりすぎていて、気づいていなかったけれど、自分が思っている以上に、普段から周りに気を使っているんだなと、あらためて思った。雨の音だけが聞こえる時間は、それだけで心地よかった。

知っている人に、会いたくない日もある

そのあと、ブログの続きと子どものテスト勉強のまとめをするために、近くのカフェに向かった。その道中で、なぜか知っている人に、しかも複数人続けて会った。

相手は気づいていなかったと思うけれど、正直、今日は会いたくなかったなと少し思ってしまった。こういうとき、いつも思う。この広い世界で、こんなところで知っている人に会うのか、と驚く。世間は広いようで、案外狭い。

知らない人の声は、気にならない

カフェに着くと、周りからいろんな人のおしゃべりや、店員さんの声が聞こえてくる。でも、知らない他人の声だと、不思議と気にならない。

特別に何かをするわけじゃないけれど、このカフェにいる時間が、自分は好きだ。