理由のわからない不安に、無理に答えを出さなくてもいい

今日、いつも通り電車で通勤していたら、なんとなく不安な気持ちになった。

何か特定の嫌なことがあったわけじゃない。ただ、ふわっと今までの色々な失敗が頭に浮かんでは消えていく。一つ一つが重くのしかかってくるわけじゃなくて、全体がぼんやりとモヤっとしている、そんな感覚だった。

こういうとき、いつもすぐに原因を探そうとしてしまう。睡眠不足だったからか、朝の準備が慌ただしかったからか。理由がわかれば、対処できる気がするから。

でも今回は、正直まだ理由がわからない。

原因を探すこと自体が、癖になっている

これまでの記事でも書いてきたけれど、自分は普段から、物事の理由や仕組みを分析するのが癖になっているタイプだと思う。人の気持ちにも、自分の性格にも、「なぜそうなるのか」を考えることで、少しずつ納得してきた。

だから、こういう漠然とした不安に対しても、反射的に「原因は何だ」と探しにいってしまう。

でも、今回はいくら考えても、これといった決め手が見つからない。睡眠不足も、慌ただしい朝も、多少は関係しているかもしれないけど、それだけが原因だと言い切れる感じもしない。

答えが出なくても、書いてみる

前回までの記事では、映画を観たり、身近な時間を大切にしたりする中で、何かしらの気づきがあった。今回は、そういう着地点がまだ見えていない状態で書いている。

それでも、これはこれで一つの記録として意味があると思う。いつも何かに気づいて、前向きな学びにできるわけじゃない。理由がわからないまま、モヤっとした気持ちを抱えたまま、一日を過ごすこともある。

無理に理由を見つけて納得しようとしなくても、「今日はなんとなくそういう日だった」と、そのまま置いておいてもいいのかも。

答えが出ないことを、答えが出ないまま書く。それも、自分の気持ちと付き合っていく一つのやり方かなと、今は思っている。

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