前回、前々回と、輪の中に入れない自分、そしてその気持ちと折り合いをつけていく過程について書いてきた。今回は、前書き忘れた映画を観て気づいたことについて。
ある登場人物は、言葉をうまく話せない家族と長年一緒に過ごしてきた人だった。仕事でカウンセリングをしていて、あるとき相談者から、こんな話をされる場面があった。「一緒にいる相手が、たくさんの言葉を使って謝ってくるけれど、言葉が多いほど、なんだか嘘っぽく聞こえてしまう」と。
それに対してその人は、「言葉って難しいですよね。言葉は口から出た瞬間に、意味が難しくなる。表情から伝わるものの方が、真意に近い気がします」というようなことを返す。すると相談者は、「どうしてそんなに、私の気持ちがわかるんですか」と驚く。
その理由は、その人が普段、言葉をうまく話せない家族と接する中で、言葉がなくても表情や仕草から相手の気持ちを読み取る経験を積んできたからだった。
「できないこと」の裏側にあるもの
このエピソードを見て、はっとした。
「言葉が話せないから、気持ちがわからない」のではなく、「言葉がない分、他のところから気持ちを読み取る力が育つ」。不自由さや苦労がある分、人よりも引き出しが増えていく。うまく言葉にできないけれど、これはすごく大事な気づきだと感じた。
人と違う経験をすることは、人と違う強みを得るチャンスでもあるのだ。
短所と長所は、表と裏
これまでの記事で書いてきた、「輪の中心に入れない」「目立たない」という自分の特徴も、同じことが言えるのかもしれない。
表面だけを見れば、それは短所のように見える。でも、裏を返せば、輪の中心にいないからこそ見えるものがあるし、目立たない立場だからこそ気づける、同じような立場の人の気持ちが少しわかることもある。
長所と短所は、表裏一体なんだと思う。他人と比べて表に出ていない特徴は、短所として語られがちだけど、見る角度を変えれば、それはそのまま長所にもなる。
輪に入れないことも、目立たないことも、何かが欠けているということではなく、その分だけ違う経験や、違う気づきを得られる場所に立っている、ということなのかもしれない。
書いてもすぐには消化できなかった気持ちも、映画を観て涙したことも、そして今回のように新しい視点に出会ったことも、全部繋がって、自分の中で少しずつ形になってきている気がする。
