行きつけとは違うカフェで、ある本を読んだ。そこにはこんな問いかけがあった。やりたいことをやらずに働く。お金を稼ぐ。やりたいことじゃないから充電が必要になる。充電のために欲しいものを買う、食べたいものを食べる。またお金が必要になる。だからやりたいことじゃなくても働き続ける。この順番、そもそも違うんじゃないか、と。
やりたいことを先にやる。そうすればお金はそんなに稼げないかもしれない。でも充電はそこまで要らない。欲しいものもそんなにいらない。お金もそんなにいらない。少し働けば足りる。
まだこの考え方を自分の生活に完全に落とし込めているわけじゃない。ただ、順番を入れ替えて考えてみると、今まで当たり前だと思っていたものの見え方が変わる気がした。
似たようなことを、少し前の自分の経験でも感じている。過去に自分のミスでお金を失ったことがある。もしそのお金が残っていたら、子どもを私学に入れていたと思う。私学であれば、それなりの学費を払って、卒業後は普通に就職活動をして社会に出る、という道が見えていた。
でもお金を失ったことで、その道は選べなくなった。代わりに見えてきたのが高専という選択肢だった。学費は私学よりずっと安く、そこでの学びは就職につながる技術として、子ども自身の武器になる。そして高専に入るために一緒に勉強することで、親子で同じ目標に向かう時間まで生まれた。私学の道を選んでいたら、たぶんこの時間はなかった。
失ったことをきれいに「よかった」とまとめるつもりはない。失ったものは失ったもので、取り返しはつかない。ただ、置かれた状況の中で、それまで見えていなかった道が見えてきた、ということは確かにあった。
本の話とこの経験、順番はまったく違うところから来ているのに、同じことを言っている気がする。先に何を置くかで、見えてくるものが変わる。やりたいことを先に置けば、必要なものの量が変わって見える。失ったものを先に受け止めれば、その先にある選択肢が見えてくる。順番を自分で選べる場面と、選べずに与えられる場面、その両方があるのかもしれない。まだうまく言葉にしきれていないけど。

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