こどもと一緒に悔しがれること

負けには理由があるはず
昨日は長男の野球の公式戦だった。2か月前に勝った相手で、今度も勝ちたかった。結果は0対1のサヨナラ負け。
味方のフォアボールは0、エラーも0。守りの面では、これといった反省点が見当たらない。それなのに負けた。だから余計に、勝つために何が足りなかったんだろう、と。しばらく何も思い浮かばなかった。
負けには何かの理由があるはずだ。ひとつ思い当たるとしたら、ノーアウトでランナーを出せなかったことかもしれない。打てないなら、セフティバントや、あえて2ストライクまで打たない選択肢もある。デッドボールになるくらいベースに体を寄せてでも出塁する、という意識も必要だったかもしれない。
実際、ツーアウトからのフォアボールが3回くらいあって、2塁への盗塁も2回とも成功していた。相手投手がフォアボールを出す可能性、次の塁を奪う力も、確かにあった。ただそれが、ノーアウトの場面で起きなかった。ノーアウトで出塁できていれば、送りバントでワンアウト三塁の形ができて、そこからいろいろな作戦で1点をもぎ取れたかもしれない。
自分の子どもは送りバントなどの作戦を任されることが多いから、こういう場面に立つ機会自体はあまりないかもしれない。それでも、いつかそういう状況になったときに、今日気づいたようなことを意識できるように、普段から伝えておこうと思う。子どもは子どもで一生懸命やっているから、えらそうにならないように、あくまでアドバイスとして。
でも負けたけれど、ひとつ嬉しいことがあった。子どもが、今までにないくらい悔しがっていた。あまりそういう感情を表に出さない子どもが、そこまで悔しがったこと自体が嬉しかった。そして、自分を含めた親が、子どもと一緒に悔しがれたことも嬉しかった。
毎日の日常の中で、こんなふうに感情を揺さぶってくれる経験を一緒に味わわせてくれることに、あらためて感謝した。あと1年ほどで引退になる。勝つこともあれば負けることもあると思うけれど、子どもとチームと一緒に、少しでも感情を揺さぶれる経験ができたらいい。そう、あらためて思った。